澤口雅彦レポート~さわレポ7~ —サインの起源—

企業に訪問した際の何気ない会話のなかで、選手のサインは自分で考えるの?と聞かれたことがあった。
個人的に選手に直接聞いたことはないが、誰かに考えてもらったという選手がいることを小耳に挟んだことはある。
誰に考えてもらったのだろう。人によってそれぞれ違いがあるのかと疑問に思った。
選手に聞いてみたら、おもしろい話が聞けるだろうか。
途中でサインを変える人もいたり、どんな経緯や歴史があるのか少し気になったので、今回は私のサインについて話してみたいと思う。

小学生の時、サッカー選手に憧れていた私は、サインをもらいに鹿島アントラーズの練習場に足を運んでいた。
「サインください!」という私の声に反応し駆け寄ってくる選手。
ペンと色紙を渡すと、サササッとカッコよくサインを書いてくれた。
この音と、白いキャンバスに大胆に書かれたサインに目が釘付けになった。
時には一枚の色紙に4人分サインしてほしいので、端に小さくとお願いすると、想像よりも大きく書くという選手もいて、困ったこともあった。

家に帰ると白い紙を用意し、マジックで選手のサインを真似して書いてみた。
実際には、なんて書いてあるかわからないし、真似をするとなるとスピ―ド感がないのでいい音がでない。今度は適当に書いて音だけを楽しむ方向に進む。
見た目のカッコよさなんて一切関係ない。こんなことを子どもの時に楽しんでやっていた。

年齢を重ねると、自分のサインを考えることにシフトチェンジしていった。
私には3歳年上の兄がいるのだが、兄の部屋に入った際、ふとごみ箱に目を向けると、ごみ箱の中に兄が書いたサインがあったのだ。
ごみ箱の中から捨てられていた紙を取り出し、手で広げてみた。

私は自分のサインを考えていたものの、なかなか良いものができずにいたので、兄のサインを盗むことにした。決してカッコいいとは言えないが、わかりやすいし、簡単に書けるのでいいかなと思ったのだった。これが私のサインの起源だ。このサインをベースに書いていたのだった。

かつて鹿島アントラーズでプレーしていたジーコも実に簡単なサインで、子どもの頃よく真似をして書いていた。
そんなこんなで、兄のサインを大学時代と選手時代の14、5年間書かせてもらったのだった。このことを兄は知らない。
プロになって他の選手と見比べると、単純かつカッコ悪く感じ、少し恥ずかしさはあったが、兄の想いも背負っていると自分に言い聞かせていた。
練習場や試合後にサインを求められたり、時には街で声をかけられサインをしたこともあった。サッカー選手になったんだという実感が湧いたし、サインを求められることは人気のバロメーターでもあるので、とても嬉しかった。

その反面、時には思い迷うこともあった。
サインに加えて、なにか一言書いてほしいと求められることが多々あった。
好きな言葉や好きな食べ物と、サポーターの皆さんから具体的にリクエストされた時は書きやすいのだが、かたくなになにか一言、な・に・か を求められる。
私は考え込んでしまうことがしばしばあったのだった。
その方が求めている言葉はなんだろう、最近何かあったのかな、元気づけてほしいのかな、と頭の中でぐるぐると回っていた。
その節は、長い時間を割いてしまい申し訳ありませんでした。(笑)
そして、時間をかけて期待が高まったにも関わらず、それほど良い一言でなかったという方には、この場を借りて謝りたい。ゴメンね!
そして、またサインをしてよい時が来ることを楽しみにしています。

最後に、今回初めてサインの起源について告白したのだが、兄にありがとう!と、盗んでごめんね!を伝えたい。
そしてサインを使ってくれて、ありがとうと兄から連絡が来ることを期待する。(笑)
これが私のサインが誕生した経緯と、歴史だ。

今度は他の選手にも聞いてみよう。


澤口雅彦
ファジアーノ岡山に2009~2018シーズン在籍し、2020シーズンをもってプロサッカー選手を引退。
2021年3月下旬に株式会社ファジアーノ岡山スポーツクラブに入社し、新設した『クラブコミュニケーター』として、事業部門、および普及スクールコーチを担務し、地域とクラブの発展に寄与する活動をしてまいります。


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