15周年記念ユニフォームを着ての9月ホームゲーム3試合が終わった。
試合当日はファジレッドではなく、広場、スタンドは真っ黒に染まり、いつもの雰囲気とは違い新鮮だった。
毎年プレゼントしていたユニフォームシャツ企画であったが、今回は購入にもかかわらずたくさんの方に買っていただき、サポーターの皆さまのファジアーノ岡山を愛する気持ちが改めて伝わってきました。
記念ユニフォーム、記念ユニフォームシャツを購入してくださった皆さま、ありがとうございます。
さて、15周年ということで、スタジアム前広場では歴代のユニフォームが飾られていたのを見られただろうか。地域リーグ、JFLを戦った時のユニフォームなど歴史を感じるものが並んだ。ユニフォームをバックに写真を撮ったり、このユニフォームが1番カッコいいなどと、それぞれ好みのユニフォームの話に会話が弾んだことだろう。
私自身振り返ると、2009年のユニフォームは思い出深いユニフォームである。
小学生の頃から憧れていたJリーグ。Jリーグのロゴが入ったユニフォームに袖を通し、その舞台に立てることは感慨深いものがあった。歴代のユニフォームをみるとその当時の思い出や、その年に活躍した選手の顔が浮かんでくる。
今、ユニフォームの管理はチームが行なっている。試合当日はスタジアムに着くとユニフォームがロッカールームにキレイに並べられ、試合前にウォーミングアップをするウェアもサイズごとに通路に準備されている。全てマネージャーが準備してくれるのだ。2013年、政田にクラブハウスと練習場ができて大型の洗濯機を置けることになってからは、ユニフォームや練習着を全てチームで管理するスタイルへと変わった。
政田サッカー場ができる前は、皆さんもご存知の通り練習場は転々とし、更衣室もないところで練習することが当たり前だった。そんな時は自宅から練習着を着てきたり、練習会場に着いて車の中で着替えたり…ということが日常だった。
これが日常ということは練習着を個人で管理し、洗濯も行なっていた。同時にユニフォームも個人管理となっていた。試合当日は自分で準備し持っていくということだ。
靴下に穴が開けば糸と針を出して縫ったこともあった。チームに頼む選手もいたが、家庭科の成績が良かった私は自分で行っていた。週末の試合を終えて試合で使ったものを洗濯しベランダに干すと、ユニフォーム、練習着がずらりと物干し竿にかかる。その光景はサポーターを超えていて、すぐに選手の家だとわかったことだろう。
そんな当時の選手たちにとって、アウェイの雨の試合は嫌だった。
白いユニフォームで戦うことが多いアウェイの試合は、芝の緑色が袖や肩などに付着すると、なかなか落ちないのだ。スライディングをすれば靴下やパンツに土が付着し、緑色の芝の色が色濃くついてしまう。試合中に汚れを確認してしまい、洗濯が大変だとテンションが下がることがあった。試合後には選手同士で汚れたユニフォームを見て、洗濯が大変だなと慰め合うこともあった。笑
政田ができ、全てチーム管理になってからは汚れ、靴下の穴などは一切気にする必要がなくなった。
選手が管理するということで、こんなこともあった。それはアウェイの試合に移動する道中にユニフォームを忘れたことに気がついた選手がいたのだ。
こんなミスがあり、移動の途中でメンバーから外された事例もあった。人間であるし仕方ないミスではあるものの、一番あってはいけないことである。
現在はこんなこともなくなり、試合で使用するものは全てチームが運んでくれる。アウェイであれば試合2日前に政田で遠征に必要な荷物を預けると、チームがまとめてトラックで運んでくれるのだ。前日に宿泊するホテルに着くと、各部屋に置いてあるという流れだ。選手のバッグにはスパイクが2~3足、多い人で4、5足だろうか。芝生の長さや、雨で滑りやすいピッチなどに対応できるように、いろんな種類のスパイクを準備している。スパイク以外にはランニングシューズやサンダルを持っていくので、私は多い時で5、6足くらいの靴をバッグの中に詰めていた。バッグの中は、ほとんどが靴ということだ。他にはシャンプー、リンス、ボディーソープなどの日用品。スタジアムによっては準備してあるところもあるが、基本的には自分が用意したものを使っていた。それに加えて浴槽に浸かってリラックスしたかったので、入浴剤も持参していた。他にはホテル内で過ごすチームの移動着や、寝間着がバッグに入っていた。遠征時のバッグに入っているものはこんなところだろうか。枕などの寝具を運んでもらうという人もいた記憶がある。
このようになったのは数年前の話。
以前は遠征に必要なものは全て選手個人で運び、新幹線や飛行機移動をする際も家からホテルまで運んでいた。ファジアーノの選手、スタッフがいる新幹線の車両の荷物棚は、黒い遠征カバンに占領されていた。
歴史を振り返るといろんな経験をしたなと改めて思う。荷物を運んでくれるようになった経緯は、監督がチームに対して選手がピッチ上に集中できる環境を…と働きかけてくれたのだった。そして、これはプロフェッショナルとして結果を残してきたからこそ、少しずつ選手たちが勝ち取ってきたことでもあったのだ。
今ではサッカーに集中できる環境を整えてくれたチーム、コーチングスタッフ、トレーナーやマネージャーに感謝するとともに、支えてくれている人たちの存在を改めて感じていた。私にとってこれらの経験はとても貴重で、同時に勝ち取ってきたからこそ、少しづつ変化するクラブを体感できた貴重な経験でもあった。
澤口雅彦
ファジアーノ岡山に2009~2018シーズン在籍し、2020シーズンをもってプロサッカー選手を引退。
2021年3月下旬に株式会社ファジアーノ岡山スポーツクラブに入社し、新設した『クラブコミュニケーター』として、事業部門、および普及スクールコーチを担務し、地域とクラブの発展に寄与する活動をしてまいります。