澤口雅彦レポート~さわレポ13~ —あの時を思い出す―

緊急事態宣言があけてスクールが開始された。
私が担当する総社校では、たくさんの子どもたちが来てくれて、活気のあるスクールが戻ってきた。

オンラインで何人かの子どもたちとは話したが、ほとんどの子どもたちとは久しぶりの再開になるので、みんな元気にきてくれるだろうかという想いで車を走らせた。

総社校に着き、さっそく準備に取りかかる。ボールや、コーンを運び、一カ月振りにフットサルコートに足を踏み入れた。一カ月振りにグラウンドに入る感じは、リハビリの時のような感覚で、長い期間治療に専念し、やっとグラウンドでのトレーニングが開始になり、足を踏み入れた時と似ていた。

何気なくゴールに向かってボールを蹴りこんだ。やっぱりボールを蹴るのは楽しい。
外でサッカーができる喜びを噛みしめた。

準備を終えるとU-6の子どもたちがやってきた。
小さい体に大きなリュックを背負い、笑顔で走ってくる。
リュックは左右に大きく揺れ、中身の心配など一切気にしない無邪気な子どもたちを眺めていた。

「こんにちは!」子どもたちの元気な挨拶に安心した。
みんな楽しみにしてくれていたのだと感じた。

練習は集中力も高く、活気あるものとなった。心なしか、以前よりサッカーがうまくなっているように感じた。集中力が高かったためか、休みの期間にたくさん練習してくれたためか、それとも代表戦やJリーグなど、サッカーの映像を観ることでイメージトレーニングできたためか。いずれにせよ、良い方向に進んでいることを感じられた時間だった。

次の日の中庄校でも、子どもたちの元気な顔が見られた。この日の天気は大気が不安定で、岡山市内は雷雨に見舞われていた。倉敷も雨が降っていて、スクールが始まる前には雨は上がっていたものの、土のグラウンドはぬかるんでいた。力を入れると、ズルっと滑って足を取られてしまう状態で、水が溜まっている所もあった。小さい頃は泥だらけになるまで遊んだり、土のグラウンドでサッカーをしてユニフォームや靴下をよく汚していた私だが、最近は公園で泥だらけになって遊んでいる子を見る機会が減った気がする。

少しでもコンディションが良い場所を探して、U-6の練習を行おうと考えた私だが、滑るグラウンドを楽しそうに駆け回る子どもたちを見て、あえてコンディションの悪い場所で鬼ごっこを行った。

土を感じてほしかったことと、バランス感覚も養われるだろうという考えから行ってみた。あとで洗濯をする保護者の皆さんのことを思うと、申し訳ない気持ちがある。

スクール終了後の私の靴

当然私の靴や服も泥だらけになったが(靴は自分で洗い、服は泥を落として、洗濯機に洗ってもらった)、昔を思い出す機会となった。小学生から始めたサッカーは、芝生での試合もあったが、土で行われる試合も多かった。当然練習は小、中、高校と土のグラウンド。今となっては人工芝のグラウンドも全国に広がってきているが、岡山はまだまだ少ない。

かつてファジアーノ岡山は、現在指定管理を行なっている神崎山公園、財田スポーツ広場、灘崎総合公園多目的広場サッカー場などをメインに練習を行い、時には操車場跡地や、瀬戸内市邑久スポーツ公園など、グラウンドを転々とし練習してきた。
今となっては政田サッカー場を使わせていただいているが、地域の皆さまに支えられ完成した練習場だ。
練習場の整備を求めて署名活動が行われ、当時目標であった10万人を大きく上回る約28万4,673人分の署名を集め、 2013年3月に完成した。この歴史を体感した選手、スタッフも少なくなってしまった。言葉で伝えることはできるが、これを直に体感した人との想いには違いが生じてしまう。これをどう捉えるかは選手次第。子どもたちもそうだが、サッカーをしていると、必ずや指導者から周りの人に感謝の気持ちを忘れてはいけないと言われる機会があると思う。小さい頃には難しいが、段々とこれを理解し、力に変えられるのであれば、サッカー選手としても、人としても成長できると私は思っている。

フロントスタッフとなった私に、政田サッカー場の鍵閉め当番が回ってきた。クラブハウス内の床のモップがけをして、鍵を閉めるという業務。完成から8年が経った政田サッカー場は、時間が経過した分だけ、汚れも感じる。
今一度、あの時を思い出し、大切に使っていきたいと思った。


澤口雅彦
ファジアーノ岡山に2009~2018シーズン在籍し、2020シーズンをもってプロサッカー選手を引退。
2021年3月下旬に株式会社ファジアーノ岡山スポーツクラブに入社し、新設した『クラブコミュニケーター』として、事業部門、および普及スクールコーチを担務し、地域とクラブの発展に寄与する活動をしてまいります。


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