澤口雅彦レポート~さわレポ16~ — 15Years Anniversary —

ファジアーノ岡山を応援してくださる皆さま!設立15周年おめでとうございます!
ファン、サポーター、スポンサー、地域の皆さまに支えられて、皆さまと創り上げた私たちのクラブが、このたび15周年を迎えることができました。誠にありがとうございます。
ここまでのクラブの歴史を、私の経験を交えながら、少し振り返ってみたいと思います。

2006年に株式会社化し、株式会社ファジアーノ岡山スポーツクラブを設立。
その年に中国サッカーリーグ優勝。JFL参入のための全国大会に出場するも、3位という結果でJFL昇格を逃した。

翌年には中国サッカーリーグ17戦全勝という圧倒的な力を見せ、勢いそのままにJFL昇格を決めた。JFL昇格のミッションは簡単なことではない。地域リーグを突破し、地域決勝(通称:地決)で結果を出さなくてはいけない。私自身も、おこしやす京都ACの時に経験したが、地決に出場するには各地域で行われるリーグ戦で地決の切符を手にするか、全国社会人選手権大会(通称:全社)で切符を手にするか…である。このどちらの大会も日程が過酷と言われていて、地決の決勝ラウンドまで進めば、中1日の3連戦だが、1次ラウンドでは3日で3試合の3連戦。全社に至っては5日で5試合の5連戦。最低でも4試合勝たないと、地決の切符を手にすることができない。

私は、2019年にこの全ての試合に出場をしたが、それは過酷な戦いだった。
こんな過酷な戦いを勝ち進んだファジアーノ岡山は、歴史的な一歩を踏み出した。

2008年のJFL元年では開幕からスタートダッシュを見せていた。
第6節まで6連勝、6試合で得点17点と攻撃陣が爆発していた。その中心にいたのが喜山康平だった。6試合で5点を記録し、波に乗っていた。当時はFWでの起用が多かったが、いろんなチームを渡り歩き、考えも個性も様々な監督のもとで、どこのポジションの起用にも応えて見せた。常に結果が求められるこの世界において、多くの試合に出場することは至難の業である。DFからFWまで、あらゆるポジションで活躍し、選手として唯一地域時代からファジアーノ岡山を知り、JFL、J2とファジアーノ岡山のために戦ってきた彼の存在は大きい。

そしてJFL第7節で対戦したのが、当時私が所属していたFC琉球だった。
FC琉球のここまでの結果はというと、1勝1分4敗という少し苦しい状況。
勢いのあるファジアーノ岡山との結果は2-2の引き分けだった。岡山のサポーターの皆さんには申し訳なかったが、連勝を止めた背景には私が関わっていたのだった。

初めてシティライトスタジアム(当時は桃太郎スタジアム)で戦った時のことは、鮮明に覚えている。天気が良い日で青空が広がり、緑色の芝生がキラキラしていた。グラウンドからスタンドを見上げ、屋根の曲線が美しいスタジアムだと感じていた。

その次の年に、ここが私にとってのホームスタジアムになるとは、全く予想していなかった。
2009年にファジアーノ岡山に移籍してきた私は、ホーム開幕戦にヴァンフォーレ甲府を迎えた。10,525人の方に来場していただき、夢見ていたJリーグの試合に出られる幸せを胸いっぱいに感じ、今でも思い出に残っている試合の一つである。こんなに多くの方の前でプレーをしたことがなかったし、応援していただける喜び、自分の名前を呼んでくれる嬉しさ、試合を通じて勝ったらたくさんの人を幸せにし、負けたら悔しさを共感してくれる仲間がいる。人々の感情を動かし、夢を与えられる仕事ができることに幸せを感じていたのだった。

それと同時に、プロとしての責任が芽生えた貴重な1年だった。

2009年開幕戦のスタンドの様子

JFLに昇格し、JFLを1年で突っ走りJ2昇格を決めたファジアーノ岡山だったが、J2リーグ元年は8勝12分31敗の最下位で終わってしまった。

2009年から10年間プレーをし、数多くの試合に出場させてもらった。
歴史を振り返ると印象深い試合が何試合もあるが、そのなかでも2009年の8月5日に行われたホームでの東京ヴェルディ戦。0-2のビハインドからの大逆転勝利。

東京ヴェルディ戦での私

2013年のノエビアスタジアム神戸でのヴィッセル神戸戦も、しびれる試合であった。

そして、なんといっても2016年のJ1昇格プレーオフ松本山雅FC戦。歓喜に沸いたスタジアムは、言葉では表現することができないほど、込み上げてくるものがあった。松本に勝利し、あと一歩でJ1に届くという経験もした。
数多くの戦友と出会い、時には衝突し、時には喜び、出会いと別れを繰り返して、このたび15周年を迎えた。

今までピッチで戦った選手をはじめ、ともに戦ってくれたファン、サポーターの皆さん、ファジアーノ岡山の理念に共感し、協賛してくださるスポンサーの皆さま、行政、地域の皆さまにお力添えをいただき、ここまで来ることができました。
ファジアーノ岡山に関わってくださった全ての方に感謝いたします。ありがとうございます。

これから先も100年続くクラブを目指して、「子どもたちに夢を!」の理念のもと、さらなる高みを目指して成長していきたいと思います。
未来に向かって、ともにクラブを創っていきましょう!


澤口雅彦
ファジアーノ岡山に2009~2018シーズン在籍し、2020シーズンをもってプロサッカー選手を引退。
2021年3月下旬に株式会社ファジアーノ岡山スポーツクラブに入社し、新設した『クラブコミュニケーター』として、事業部門、および普及スクールコーチを担務し、地域とクラブの発展に寄与する活動をしてまいります。


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