澤口雅彦レポート~さわレポ17~ — 体を張った30秒 —

7月26日にファン感謝デーが行われ、初めて夏の開催となった。
例年のファン感謝デーといえば、シーズンが終わった冬に行っていたが、今回は夏の開催。
どちらの季節の開催も、それぞれメリットがあるのかなと思う。冬でいうと、シーズンを戦い終えた選手達の素の表情がより出やすかったり、退団、引退する選手の生の声を聞ける機会でもある。私自身も2018年にシティライトスタジアムで、退団の挨拶をさせてもらったが、7月18日の群馬戦では、その時の言葉が忘れられないとサポーターの方に言っていただいた。
選手の声が今もサポーターの皆さんの心の中にあるのは嬉しいことであるし、冬のファン感謝デーの良さでもあるのかと思う。

2018年のファン感謝デー

逆に今回は夏ということで、選手はシーズン中のモチベーションを保ったまま、サポーターの皆さんは、明るく楽しむスタンスでご来場いただけたのではないかと思う。
中断期間ということで、サポーターの皆さんと選手が関わりをもつ時間があるというのは、選手にとってもプラスのことで、皆さんから元気をもらい、終盤戦に向かってリフレッシュできた時間になったのではないか。

この日、ファン感謝デーでのび太の衣装を着ることになった私。7月22日に誕生日を迎え、36歳になった私だが、初めてのび太の衣装で登場した時とは状況が違い、恥ずかしさが増してきたのだった。

2021年にのび太に再びなるとは…

のび太の衣装を着ることになった経緯をお話すると、2016年のハロウィンに、選手と家族十数人でハロウィンパーティーを行ったのがきっかけだった。衣装を着て優勝者を決めようという企画で、ハンプティーダンプティー、ウォーリー、ヴォルデモート、ピーターパンなどに仮装した選手たちが集まった。その中で私はのび太くんの衣装を着て、見事優勝を飾ったのだった。

その当時のパーティーに加地さんがいたのだが、「のび太面白かったからファン感でもやって」と言われ、それを機にのび太の衣装を来てファン感謝デーに登場することになったのだった。

2016年初めてののび太

2017年2回目ののび太

今回のファン感謝デーでは、のび太で登場することは選手には知らされておらず、話したことがない選手もいるなかで、控室からステージにあがるために、ステージ脇にあった選手待機場所に行くことは勇気のいることだった。待機場所に行くと、先輩のことを小馬鹿にしに来た流通経済大の後輩(椎名と宮崎智彦)がすぐにやってきた。スベらないかと不安な私の気持ちもしらずに、笑顔でニコニコしながら話しかけてきた。櫻内さんのアナウンスで登場し、走って転んで、ランドセルの中身が飛び出すという企画だった。中身が飛び出すか心配だった私は、豪快に転ぶことを意識した。「ドドドーン‼︎」ステージの上は音がなりやすく、大きい音が会場に響いた。
「あれ!? なぜ!?」
うまく転べたと思った私だったが、ランドセルの中身がなぜか出ていない。予定変更を余儀なくされ、時間もおしていたため短い出番となったのだった。

本当はこれがやりたかった…(2016年)

ステージを降りて櫻内さんと確認すると、なんと、開けてあったランドセルの鍵が閉められているではないか。このやり取りを見ていた椎名が、またこちらに寄ってきた。
「すみません。さっき閉めちゃいました…」
「なぬっ!」
何をしてくれているんだと思った私だったが、話を聞くと小学校に通う娘たちのランドセルの鍵がよく開いているため、閉じてあげる習慣がつき、わざと開けておいた私のランドセルの鍵も、閉じてしまったのだという。

大学在籍時から、度々迷惑をかけてくる後輩。今回は良いことをしようとしたのだが、結果的に、またも迷惑をかける形になった。優しい良きパパなのか、迷惑な後輩なのか…複雑な思いが残ったファン感謝デーだった。

残ったものは、もう一つある。
豪快に転んだ際にできた、手の甲、肘、膝に負った擦り傷だった。
時間にしておよそ30秒の出番だったが、体を張ったファン感謝デーであった。

ちなみに2018年はしずかちゃんになりました…


澤口雅彦
ファジアーノ岡山に2009~2018シーズン在籍し、2020シーズンをもってプロサッカー選手を引退。
2021年3月下旬に株式会社ファジアーノ岡山スポーツクラブに入社し、新設した『クラブコミュニケーター』として、事業部門、および普及スクールコーチを担務し、地域とクラブの発展に寄与する活動をしてまいります。


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